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2008年5月10日
WordPressのダッシュボード(管理画面のトップ)には「リファラー」という枠があります。ここには、自分のサイトにリンクをはって言及しているサイトがリストアップされます。ここを見ていて、同じ記事内容のサイトが多いことに気づきました。
「MacBookの情報を集めてみました」のように書かれていて、私が過去に書いた「そろそろ、MacBook Airのことを書いておこう。」という記事にリンクがはられ、ほかのMacBook関連の記事が書かれた数個のサイトと一緒にリストアップされているんです。
この人はまず、記事内容を絶対読んでない。タイトルだけで判断しているのは確実です。私は、MacBook Airのことを書いたと言っても、自分が買おうと思っていると書いただけで、それ以外は私の過去のパソコン遍歴だけだから、Airの情報はまったく載ってません。他の人にはほとんど役に立たない記事なわけです^^;
MacBookとMacBook Airというまったく異なる機種の情報が一緒に扱われているのを見ても、この人にはMacBook(Air)についての知識があまりないのではないかと思われます。
まったく同じ記事を掲載するこれらのBlogは、まあまず間違いなく同じ人が管理しているのでしょう。いろんなBlogサービスに登録して、それぞれの管理画面に同じ文章をコピペして地道に公開する作業を想像すると、そこにかける時間がとてつもなく無駄なように思えてならないです。
読者にも管理者にも愛されていないBlogって、きっと星の数ほどあるんでしょうね。
昨日行ってきたセミナーで、「Webに掲載される情報の信頼性をあげていく必要がある」というような話があったのですけど、制作者がどんなにそういう意識をもってがんばっても、Webサービス提供者がいろんな夢や可能性を信じてリリースしても、結局Webそのものの信頼性を上げるのは「利用者の意識」だけのような気がしてきます。
自分が発信する情報で利益を得ることができるのは、その情報が「誰かにつながっている」からなのに、そこを考えないで最終的な自分の利益のことだけを考えて機械的に情報発信をする人たちがたくさんいるのが悲しい。ねずみ講的なものにひっかかる人はこういう人なんだろうか。
お金を稼ぐ=自分だけがハッピーになる ってことじゃないと思うんだよなあ。
ねずみ講だってそう。一番最初の最初は「(ひっかかる人に対して)ハッピーになれると思わせる情報を提供している」から成り立ってる。どちらもハッピーになれるからこそ、成り立つことだと思う。
「自分にとってのネット」と「みんなにとってのネット」の両方を考えていけるような人を増やしていかないと、どんなにネットが手軽になっても情報の質は向上しない気がするなあ。
11:59 AM|コメント/トラックバック(0)