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2008年4月8日

新婚当時の話。

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私たちの結婚生活は、埼玉県川越市というところでスタートしました。
当時社会人2年目のだんなと新入社員の私、はっきりいってお金はぜんぜんありませんでした。「できるだけ安いところで、広いところ」というむちゃくちゃなオーダーで探し当てたのが、JR川越線の「西川越」というところにあるマンションでした。

  • 3DK・55平米
  • 鉄筋コンクリート造りの2階。エレベーターもある
  • 床はフローリング。バストイレ別。築年数は多分当時で10年くらい。
  • 駅から徒歩3分。高速のインターからも多分3分くらい。
  • コンビニもほぼ目の前。バス停も目の前。

この条件で、家賃はなんと69000円!特に都内在住のみなさん、安いと思いません?
もちろん、この安さには理由があったんですけどね。

最大の理由は、西川越という駅の状況でした。単線4両編成の無人駅。改札(というか入り口)には箱が一つおいてあって、出るときは切符をそこに入れるだけ。ホームに屋根はないし、駅員がいないので電車が遅れていても分かりません(携帯電話がいかに便利かこのときに思い知った)。電車は1時間に3本、都内から電車で帰るためには午後9時台に出なければなりませんでした。電車の床は木製のこともあり、ミシミシ言ったりしてました。だんなは車通勤だったのであまり関係なかったですが、電車通勤だった私は3年間この地でがんばったのです。

そして、近くにまったく病院がない。銀行もない。スーパーもないんです。だから、私は勤務地である隣駅の川越で昼休みの大半を使って買い物を済ませ、昼ご飯はパンをかじって過ごしていました。

その後、私は勤務地が大宮→戸田公園(埼京線)になり、その時期にデジハリ渋谷校に通い始めます。戸田公園にある勤務地から渋谷まで、最低でも1時間半見ないといけません。で、終わったら2時間以上かけて西川越に帰る。それを週2回夜にやっていたんです。9時半までの授業ですが、仕事が忙しかったために9時半につくのがやっとということも多く、ほぼ授業内容のすべてをフリータイムで学ぶという状態になっていました。

終わったらもう終電はなくて、いつも川越からタクシー。タクシーの運転手さんに顔を覚えられ、いつもお仕事大変だねえと言われながら帰っていました。帰宅後、授業の予習復習をして、寝るのは4時とか5時。で、8時には出勤するわけです。歩いても寝られるほどの状態でしたが、どうにかこうにか、仕事もデジハリもがんばっていました。

当時27歳。若かった。
でもあのときのがんばりがなかったら多分、今の私はないです。

そんな非常に立地条件の悪いマンションでスタートした新婚生活でしたが、一つだけ、どんな場所にも勝てないすばらしい立地条件がありました。それは、マンションの1階にとても素敵な居酒屋があったこと。まだ若い私たちにはちょっと早い雰囲気もあったけれど、好んでよく通っていました。Web業界に転職して引っ越してからも時々行っていましたが、数年前のある日、お店がなくなっているのを知りました。

本当にショックでした。あの店がつぶれるはずがない!と思って、インターネットでずっとずっと、移転先を探していました。そしてついにこの前、都内に移転したことを知ったのです。あってよかった。ほんとにうれしかった。夫婦で、本当に興奮しました。

そして昨日、そのお店に行ってきました!だんなはすでにエントリーを書いてますが、何も変わってなくて、10年前とまったく同じだった。タイムスリップしたようでした。
ということで、そのお店のレポは次以降の記事で書きます(笑)←今日じゃないかも。

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