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2009年3月28日

今日のライブで気づいたこと

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いやー。一生のうちでライブに行ったことが3回しかない私が、今月だけで2回ライブを観ちゃったよ!つまり3回のうち2回が今月だったということ。だからね、子どもみたいに敏感になんでも反応するんですよ、たぶん。慣れていないものに触れると、いろんな感覚がいっぺんにくる。食わず嫌いよくないなあ。ライブって面白い。小学校のときからずっと音楽(吹奏楽)やってたのに、なんで今まで興味なかったんだろう。

今日行ったライブは仕事がらみでご招待をいただいたのですが、このアーティストの曲をほとんど聴いたことがなかったから、事前にアルバムを買って聴いてみたのです。これが私にはかなりヒットで、ご招待を心から感謝したのでした。私が特によいと思ったのはそのアルバムの1曲目だったんですけど、ライブでは、アンコールの最後の最後に聴くことができました。実は待ってた。よかった。

でね。iPodとかで聴いてたときには気づかなかったのだけど、ライブでこの曲を聴いていて気づいたことがあったんです。

「だいじょうぶ」って言葉。これって、大丈夫なときも使いますけど、大丈夫じゃないときも使いませんか?大丈夫じゃないときに、「だいじょうぶ、だいじょうぶ…」って言い聞かせたりとか。

最近、私はいろんな意味で「だいじょうぶじゃない」日々がずっと続いていました。そんな私に「だいじょうぶ。」と(励ましの意味で)声をかけられると、なぜかものすごく突き放された気持ちになり、とても寂しくなっていました。励ましの言葉が、なぜか逆に私の状況を適当にあしらっているような響きに聞こえたのです。多分私が「だいじょうぶじゃない」から、解釈がネガティブになってしまっているんだろうと思っていました。

でも、今日のライブで出てきた「だいじょうぶ」に、自分がすごく励まされたことに気づいたのです。今まで言われたたくさんの「だいじょうぶ」より、私がまったく知らないステージ上のアーティストの「だいじょうぶ」の方が、私の心に響いたのです。何が違うんだろうと考えたときに、気づいたんです。歌とかピアノがうまいせいじゃない。言葉そのものに、違いがあったのです。

「だいじょうぶ」のあとに、もう一言あったのです。彼の歌には。

「だいじょうぶさ、きっとキミなら。」って。


この一言があるだけで、あんなに寂しい響きだった「だいじょうぶ」が、突然私の中でプラスのエネルギーを持ったのです。

自分に言い聞かせるときも、「私ならだいじょうぶ」と言えばいいんだ、と思いました。プレッシャーに押しつぶされそうなときにも、魔法の呪文みたいに、力がわいてくる気がします。

がんばれわたし。私なら、だいじょうぶ。


THE PIANOMAN ミトカツユキ

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