Home > 夢、想像、妄想 > 「誰かへの手紙」という形で日記を書くこと
2008年9月20日
Category:[ 夢、想像、妄想 ]
ふと、思いついたのです。
架空の誰かに手紙を書くように日記を書いたら、もしかしたらもっと素直に自分を表現できるんじゃないか?って。 ネットならそれが余裕でできそうな気がする。
「生協の白石さん」の逆バージョンというか、見ず知らずの「誰か」に対して思いとか疑問とかを書いて、それを見た人はみんなその「誰か」になりきって返事をする、みたいなコミュニケーション。つまり、思いとか疑問を書いている人だけ身元が分かってて、答える人はみんな「誰か」(=匿名)。 これなら、特定のWebサービスじゃなくてもBlogとかで余裕でできそうだよな。
そんな感じで日記を書いた人が、昔いましたね。
「アンネの日記」を書いた、アンネ・フランクさん。
私がアンネの日記を初めて読んだのは多分小学生のときで、その後も何度か読んだけど、内容はあんまり覚えてないなあ。ただとにかく、日常に対するものすごい洞察力があったということだけは強く覚えてる。
でも、なんで読むことを推奨されたのかはよくわからなかったなあ。物語じゃないし、ほんとに普通の日常だし。違っていたのは彼女の置かれている状況だけど、状況が違えば名作になるというわけでもないでしょ?やっぱりそこに何か「学ぶもの」があるから、先生たちは読めと言ったんだよね?それが、当時の私には理解できないまま、読まされていた感じ。
アンネは、「キティ」という友だちに向けて日記を書いてた。キティは架空の人だから、返事をしてくれるわけじゃない。でも彼女はキティに楽しそうに日常を語るんだよね。やっぱりただ日記を書くよりも、誰かに伝えるように書くほうが分かりやすくなりそうだし、心も開きやすいような気がする。
この前、アンネの日記が本屋で平積みになっているのを見て(新刊が出たんですかねえ?)こんなことを思ったのですが、架空の人に手紙を書くってきっと難しいんだろうなあ。人物設定が難しそうだ。
アンネの日記は、1942年6月12日から始まります。この日は、彼女の13歳の誕生日。
この日から31年後の6月12日に、私は生まれました。なんかそう考えると、まだ31年しか経ってないんだ!と思えます。自分の生きた年月より短いじゃないか。まったくもって、今生きていてもおかしくない。
こういう人が同じ誕生日なのは、ちょっとうれしいなあと思ってます。
もう一度読んでみようかな。
1:11 AM|コメント/トラックバック(4)
Comment by ちえぞう — 2008年11月2日 4:42 PM
>ちえぞうさん
おー、こんな突拍子もないアイデアにコメントありがとうございます(笑)
私もすごいやってみたいけど、多分やるときは私が私であることを伏せて、こっそり別のハンドルでやるだろうなーという気がする^^;; なんかちょっと照れくさいなー、なんて。
Comment by fuuri — 2008年11月7日 8:02 PM
春くらいに完全版が出たような。
また何か新しくして出たのかなー。
ちょっと違うタイプの写真集のようなものを数ヶ月前に読んだのだけど(クロスレビューには書いてる)、日記とは違う生々しさがあって、完全版読んでみたいなと思った次第。
彼女の完全に閉鎖された世界の日記を通して、見えるはずのない窓の外の動きが感じられるのが不思議と怖くて、私はすごく好きだったー。何度も何度も読んだし、実際中学生くらいの頃は、まねして日記をかいてた。(笑)
残ってないのが残念だ。(*´艸`)
Comment by ももちん — 2008年11月11日 10:54 AM
>ももちん
ああ、不思議と怖いって感覚、なんか分かる気がする。
私、アンネの日記を読んでも自分でそれをやってみたいとはなぜか思わなかったんだよな。なんでだろ。交換日記をやりすぎてそれどころじゃなかったというのはあるな(笑)
もう一度読みたいなあ。
Comment by fuuri — 2008年11月14日 1:35 AM
スミマセン、またしてもちえぞうです。(^^;)
私も最近、日記をつけているんですが、誰かにあてる手紙、てのはいいですね。
それ、私もイタダキ。
ブログで書くときは、たいてい読者層を特定して書いてしまっているように思うのですが、架空の「誰か」にあてている日記に対して、コメント者がそれになりきって返答するというコミュニケーションも、とても面白そうですね!