2010年10月21日
Category:[ 読書記録 ]
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たぶん、人生で出会うもののうち、「100%違和感のないもの」は存在しないのではないか、と思っています。
違和感には、どうしても許せないものと、スルーできるものの2つがあると思うのです。
前者が多い人は、頑固だとかこだわりが強いとか言われます。後者が多い人は、柔軟性が高いとか、協調性があるとか、そんな表現をされたりします。
こういう視点で見ると、まあ、両者はそんなに大きな違いではない気がします。
単に、違和感に対する処理方法が違うだけ。
人は何かを比較して選択しなければならないとき、違和感を基準にして、どちらにするのかを決めます。
その結果、選択されなかったほうが、「なくしたもの」になっていく。
能動的に選択しているとは限らなくて、無意識に選択しているものもあるし、他の人が選択することもあるから、気づいたら失っているものも多くあるでしょう。
違和感が強いから選択しない、とは限りません。強い違和感と戦い続けても、選択しなければならないときもあります。
生き霊の部分を読んだとき、彼らがとてもうらやましくなりました。いまの自分を外から眺めることができたら、どんなにいいだろう……。
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私はこの本を読んだとき、2つ「違和感」がありました。
ひとつは、主人公のナリコの娘のこと。
もうひとつは、ナリコ自身が「なくしたもの」になったときのこと。
どちらも、「選択してなくしたもの」ではないから、違和感があったのだと思います。
そして、この違和感があってよかったとも思います。こういう感想を書くことができたから。
そして今回、あえて「共著」として名前が書かれている松尾たいこさんの絵を、角田さんの文章とリンクさせるのが、私には難しいです。もともとは、絵から生まれた文章だとあとがきに書かれているのだけれど、そうだとわかるところと、わからないところがあるのです。
絵と文章に感じる「違和感」が近いというのが私の印象。
この本は、ぼんやり、感覚で見る(読む)のがいいと思いました。
答えが出てるようで出てないパズルみたいな感じだけれど、それを特に苦しいとも思わないのが不思議でした。
11:59 PM|コメント/トラックバック(0)